水上アキラです。私は会社員時代のある日、突然の大事故に襲われたことがありました。
通勤時に横断歩行を渡っていた時に、
赤信号無視の車にはねられて、10m先まで体が放り投げられました。
生活リズムも崩れて睡眠不足でウトウトしていたこともあり、
注意力も散漫していたのか轢かれた記憶はありません。
- 両足の複雑骨折
- 右手上腕骨折
- くも膜下出血
- 意識不明
の重体ですぐ救急車に運ばれたようです。
人間はあまりのショックを受けると脳が意識を遮断するらしいです。
集中治療室(ICU)に入り、数日間の昏睡状態に陥りました。
生死をさまようというやつです。
くも膜下出血は若さもあって自然治癒で消えたことでICUから出て
整形外科の一般病棟に移されました。
加害者とも一度だけ面会することになりましたが、
ひたすら謝られ、こちらは何と言葉をかければいいのか分かりません。
私はあまりの目に遭わされて惨めな姿となったことに悲観していたのです。
彼は事故当日、遅刻しそうで急いでいたサラリーマンだったようですが、
保険は全額負担してもらえたので、私は治療に専念することになるのです。
ただ、ベッドに縛られて何もすることの無い日々を送る中で、生きる希望も失っていました。
- 一体何のためにこんな目に?
- なぜ自分ばかりがこんな目に?
- 自分が何をしたというんだ?
- もう全てがどうでもよくなった。
と悲観的なことばかりが頭の中を駆け巡ります。
骨折の治療というのは、骨がくっつくのをひたすら待つだけの日々です。
1か月で数十mmのレベルです。
常に内部からの痛みがある状態が続くので、痛み止めの薬は何十個も飲みます。
それでいて左手以外は自由に動かすこともできません。
ギプスをはめてる中はお風呂で洗えないので汚いままで、
痒みも強くなってくるのに手で届かないので掛けないのが苦しかったです。
しかし、後々に考えてみればこういう苦しみのおかげで、
自由への羨望がより強いものになっていったのです。
世の中にはさらに悲惨な人がいることを知る
移された整形外科の病棟には、患者が何人もいたのですが、
特に印象深かった人が2人いました。
●Sさん
1人は、夏休みに海で飛び込んで脊髄損傷をした34歳男性Sさんでした。
Sさんは首から下が全く動きません。
一生の病です。
2人の子供たちは親兄弟が面倒を見られて、奥さんは毎日来院して看病されてました。
Sさんは私より先に入院していて、正面のベッドで
いつも表情は爽やかで明るく接してくれました。まるで仏様のようですら見えました。
それが不思議でなりません。
- Sさんのほうが相当の重症じゃないか?
- なぜ他人にそんな優しくできるんだ?
- なぜSさんはそんなに落ち着いているんだ?
- 自分だったら気がおかしくなるだろう?
それが、後から看護師さんに聞くと、そんな彼も入院当初は荒れ放題だったようです。
『人生の破滅だ』、『この世の終わりだ』、
『とても生きていけない!』、『もう殺してくれ!』、
『楽にさせてくれ!』、『なぜ俺ばっかりが!?』
とSさんは泣き叫んで狂っていたこともあったようです。
そりゃ誰だってそうなりますよ。
34歳の一番働き盛りの年齢なのにスプーンも持てず、足指も動かず
もう一生仕事もできない。
国家資格も高学歴もパーです。
しかし、いつしかそんな現実も受け止めて、
悟りを開かれたのか人格が変わってきたのだと言われてました。
新しく入る患者さんたちに希望を持てるように話しかけてくれる存在になったのです。
こんな自分でも誰かの役に立ちたいという思いから来たのだと感じさせられました。
●T君
もう1人は、足の根本から腐蝕する難病の15歳の男の子T君でした。
T君は明るく話をする元気な子でした。
しかし時間とともに腐蝕が進み、足を切断手術しなければ命が無い状態です。
それまでに3度も4度も切断されてきたようです。
2ヵ月ほど経ったある朝、病棟の廊下がバタバタ騒がしくなりました。
担当の看護師さんからT君の容体が急変して
夜中に亡くなったと聞かされます。
整形外科では、ほとんどの患者が骨折患者なので人が亡くなるケースは稀であり
私も相当のショックを受けました。
2日前まで元気に話をしていた人が、ある日突然この世から姿を消したのですから。
何が言いたいのかというと、
- まさか自分が急に死ぬわけなんて無いだろう
- まさか自分が大事故に遭うわけ無いさ
- 自分だけは平穏で安全な人生だ
なんてものは1つも無いのです。
誰もがそのときは前兆もなく、突然やってくるんだということです。
入院中には突然の事故や病気は、100万単位で高額医療費が掛かる話を聞いたり、
体が全く動かなくなれば会社員は給料ももらえなくなったなど
色んな話を聞くことになります。
そして、私の中で何かが弾けました。
『きっとこのままではマズイ』
という、あのときの思いが行動へと突き進ませたのです。
きっとあの事故が無ければ平穏で平凡なサラリーマン生活をして
今でも残業とグチと浪費の日々だったと思います。
コメント