やりがいのある仕事を望む人が知るべきたった1つの真実

分かりやすい経済

水上アキラです。『毎日同じ作業の繰り返しだ』『何のために仕事してるんだっけ』のように虚しい日々を送っている人は現代には多いです。何と言っても仕事は人生の大半を過ごす場所なので少しでもやりがいを感じたいと願いつつも叶うことのほうが少なかったりしますね。

今回登場するSさんは、26歳のときにやりがいのある仕事を求めて
東京で転職を3回繰り返した後、アメリカにも渡って自分探しの旅をしながら
5年経った今はどうなったかを書いていこうと思います。

彼は、『ようやく、やりがいのある仕事に辿り着きました』と言っています。

一体どんな道のりだったのでしょう。

大学卒業後に印刷会社に入る

 

Sさんが最初に入った会社は、中規模の印刷会社でした。

特にやりたいことがあったわけでもなく、何となく受けて受かったから、
という理由で働き始めたものの、社内の雰囲気は
どこか昭和を感じさせられることが多かったようです。

あまり派手さは無く、地道に淡々としたオフィスであり、
営業部に配属されていました。

 

58歳の上司に連れ添って外回りをする日々です。

成績はそこそこでしたが、特にやりたかったわけでは無かったことから
次第にやる気が薄まるのを自分自身で感じていたそうです。

会社に入ってから分かったことで、
印刷業という将来性にも陰りを感じていたのもあったり、
同期が3年目で辞めていったこともありました。

自身は不満という不満もあったわけではなく、
何が物足りないのか、何処にやりがいを見出すのか、一体自分は何がやりたいのか、
自問自答の日々がやはり3年目あたりから続いたようです。

 

退職して完全歩合制の業界へ

 

そうした中、『自分がやりたい仕事はこれじゃない!』と踏ん切りをつけ、
26歳のときに印刷会社で辞表を提出して退職したのです。

まだ年齢も若くて、業界では名の知れた会社だったこともあり、
次の就職先は3ヵ月で決まりました。

保険会社の営業マンです。

実は、ここが入社して後悔した最初のポイントだったとか。

 

営業部の雰囲気というのが印刷会社のそれとは全く別物だったのです。

商品が保険ということもあり、
必要としていない見込み客たちに対して
売込みをしていくスタイルです。

完全歩合制なので、獲得できなければ低収入やクビとなる世界です。

ブラックとまでは言わないが、Sさんは全然勝手の違うやり方に嫌気が刺し、
6か月で退職します。

 

『IT未経験者歓迎!』に誘惑される

 

Sさんが次に選んだ会社が、IT企業でした。

印刷会社の頃の知り合いのツテで、先に入社していた人から誘われたのです。

未知の世界であり、これからはITの時代だよなとポジティブに話を聞き入れます。

彼からは『同世代も多くて、アットホームで、IT未経験者も募集してるよ』と聞いたことで
会社に入ってから教えてもらえるんだな、という甘い期待で入社します。

 

これがとんでも無かったのです。

IT企業と言っても、いわば孫請け(二次請け)の小さな会社でした。

構造を知るわけがないSさんは、軽く騙されていたんじゃないのと私は感じました。

社員数は20名ほどいたようですが、全員が現場に出向して
現場のお客さんの元で業務をするのです。

プログラミングの勉強も、自社待機中に本を読んで独学です。

自社待機者が自分だけだったみたいですから、
教えてもらえる人もいません。

 

やっと出向先が決まったものの、月曜から金曜まで常駐なので、
自社の人と交流する機会なんてほとんどありません。

 

顧客からのパワハラ

 

お客さんというのも、Sさんは直接的にはまず一次請けの会社との契約であり、
一次請けの社員のフリをして現場のプロパーさんと接するので
形式上は二次請けのことは伏せられていて、
Sさんと自社とは給料を受け取るだけの関係でしかありません。

自社からは3人のチームで派遣されました。

1か月に1回、自社からのメールで飲み会やバーベキューに呼ばれ
参加するのですが、ほぼ初対面の人ばかりで
結局、いつも同じ常駐先にいる人同士で固まっていたんだとか。

 

 

現場での空気はというと、これがなかなか厳しいお客さんだったそうです

孫請けのことは密かにバレていたので、そのことで見下されることがあり、
それでも大きな態度は取れないのでいつもペコペコしていたんだとか。

プログラミングは、勉強すれば誰でもできるレベルでもあったので
『代えは幾らでもいる』『君らは僕の手足だ』
『あの席の子、もう要らないんじゃない』
みたいな発言を聞いたこともあるそうです。

パワハラですよね。

しかし、到底文句を言える立場じゃないというのを分かっているので
グッと噛みしめて1年が経つことになります。

 

一向に給料が上がる気配がない

 

下請けIT企業の特徴みたいですが、基本的に給料は高くないんだとか。

未経験者歓迎のワナと言ったところでしょうか。

入社ハードルを低くして、低い給料でこき使うイメージです。

昇給について聞いたら、1年間いて月3000円アップしたとか
そんなレベルだったようで私も驚いた記憶があります。

 

まぁ、だいたい役員たちが旨い汁を吸っているのは見え見えなところで
こき使われる側はそんなこと言える権利も無いのが世の常です。

このままここにいても印刷会社のときよりヒドイと感じたSさんは
退職することを決意します。

 

期間工で貯金を始める

 

Sさんはもう30歳近くなのに、
やりがいのある仕事は見つからないままIT企業を辞め、
1年間思いきり貯金をするために期間工をすることになりました。

期間工というのは、自動車メーカーなどの工場で
住み込みの寮生活をしながら働けるということで
期間限定ではあるものの、地方郊外なので
お金を使う場所もなく、男が短期間で貯金するには丁度いい、
と判断して勤めることになりました。

 

かなり体力を使うので、毎日クタクタになり、
特にやりがいのある仕事ではないものの
そこにいる間に翌年はアメリカに渡るんだという気持ちが芽生え、
今だけの辛抱だと腹をくくって勤めあげました。

 

アメリカへ渡って自分探しの旅へ

 

サラリーマン時代のも合わせて600万円の貯金が貯まったSさんは、
ついにアメリカのカリフォルニアへ出発しました。

初めて乗る飛行機がいきなりの長時間フライトです。

心臓バクバクで一睡もできずだったんだとか。

 

何よりもSさん、英語なんて全く話せないというのに
勢いだけで日本を飛び出してしまったんです。

『何とかなると思ってましたから』

と言いますが、なかなか行動力はある人だなという印象でしたね。

行動は起こせないと何も始まりませんしね。

 

 

さて、カリフォルニアに到着し、
当面の資金はまだ余裕があったこともあり、
今まで仕事ばかりだったことで、自由を満喫するようになりました。

しかし、自由と言ってもあくまで自分探しの旅だったので
どこかで宿も探しつつ、仕事も探しつつです。

 

ある日からアメリカ人のルームメイトと共同生活することになり、
彼は日本に1年住んでいたことがあると聞き、安心して承諾したのです。

そして、仕事を求めるためにルームメイトにも手伝ってもらいながら
まず英語の猛勉強から始めました。

 

 

 

『一体自分は何がしたいのか』
『何に情熱が持てるのか』
『やりがいのある仕事は何なんだろうか』

そんな気持ちが相変わらず悶々としている中で見つけたのが
ツアーコンダクターと通訳の仕事でした。

 

 

英語力も付きそうだし、日本人対応ならできると踏んで
引き受けることになります。

 

そして、やりがいのある仕事に辿り着いた

 

1年経った頃、仕事の中で色んな人との出会いがあり、
現地のアメリカ人女性と結婚し、そこで家庭を築きました。

Sさん曰く、

『今の仕事が自分の一番やりがいのある仕事だと思う。
僕は勘違いしていた。
最初からやりがいのある仕事なんて無いということ。

やりがいとは、発見するものではなくて
何かを成し遂げた後に、肌で感じることだったんだと。

 

私はこの言葉に胸を打たれたのを今でも覚えています。

別に評価されることが大事なことじゃない。

自分がどう満足できる仕事ができるかってことなんだなと。

 

Sさんは見事にその領域に
辿り着けたんだなと嬉しく思いましたね。

毎年のように違う仕事をしていたSさんだったのに、
最終的には自分の判断、決断、行動、によって
やりがいのある仕事と巡り会えたということです。

 

今回の話があなたの今後の参考になれば幸いです。

水上アキラでした。

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